« WeilによるKummer全集の序文 | メイン | 火垂るの墓 »

2005年11月01日(火曜日)

地方分権=教育の低下? [ 雑記 ]

以前から気にはなっていた話題を「極東ブログ」が取り上げていた。
極東ブログ: 中央教育審議会最終答申は無意味になるのだろうが…

たまに新聞等で読む程度なので全然詳しくないのだが,地方分権の一環として教育関係の予算を地方に移譲してしまうと,地方の自治体の方では自分の好きに使えるものだから,「教育以外」に回してしまうのではないか,というのが(委譲反対派の)主な論点だったように思う。違いますかね?

一般的には地方分権というのは良さそうに受け取られることが多いと思う。しかし,こんな落とし穴があるとはと,最初に知ったときには驚くというか脱力した(笑)。どいつもこいつも自分の懐を増やすことしか興味がないのか〜。教育の機会均等と質を守りたいのであれば,自治体に委譲するにしても教育関係の予算が確保されるような付帯条件を付けるとか方策はないのだろうか。それにしても敵役のはずの文科省がこの件では正義の味方っぽくなっているのが皮肉だ。連中にしたって,本気で教育を考えているはずはなく,単に自分たちの権益を守るという役人のDNAに従って行動しているだけに違いないのだが。しかしまあ事情がこういうことであれば今回は文科省に頑張ってもらうしかないかな,とも思う。それにしても,学校の教員が「しんどいだけの仕事」になってしまっている今の状況を変えないと教育の立て直しは難しいのでは?

といっても僕個人は基本的には独学だったから学校教育に多くは期待しない。予算があるのなら図書館を充実してくれれば嬉しい。日本全国の中学・高校の図書館にガウスの「数論研究」があれば素晴らしいと思う。そして国立大学の授業料を安くすることだ。受益者負担とかへちまとかでどんどん高くなってしまった。僕が入学したころは半年で6万ぐらい(?)だったが,それでも先輩達に気の毒がられたものだ(笑)。怪訝に思って出納係に出向いて合点がいった。表の上の方を見ると,*年度〜*年度入学の者,1万2000円(だいたい)とか書いてあるのだった(大笑)。国立大学の授業料が安ければ,機会均等がある程度は守られるだろう。多分・・・。

投稿者 sukarabe : 2005年11月01日 18:03

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://njet.oops.jp/cgi/mt/mt-tb-alt.cgi/832

コメント

>地方分権の一環として教育関係の予算を地方に移譲して
>しまうと,地方の自治体の方では自分の好きに使えるも
>のだから,「教育以外」に回してしまうのではないか,
>というのが主な論点だったように思う。違いますかね?

失礼ながら全然ちがうと思うのですが。finalventさんは変な地方自治体がそんなことを思っているとは一言もいっていません。問題にしているの経営的視点の欠如です。

あえて皮肉っぽく言わせてもらえば、大学生の何パーセントが読むのかわからない数論のような「高尚な」話ばかりして、大多数を占める入学時にすでに勉学意欲のなくなった学生に対応するといった現実の問題をおそらく大学もふくめた学校がまったく考えていないということなのだと思います。

そうした文部省や地方自治体だけではなく、大学の教員をふくめた現実感覚のなさを経営がわからないとfinalventさんはいっているのだと思います。

あの、finalventさんのところからはじめて御邪魔したのですが、たぶん、大学で数学を教えておられる方だろうと勝手判断して書いています。ちがってたらすみません。ちょっと職場でありがちな議論を耳にして、すこし頭に血がのぼっています。

投稿者 osakaeco : 2005年11月02日 15:10

えっと・・・ううむ・・・こほん・・・弁解する必要もないとは思いますが,finalvent氏の論点ではなく,教育予算を自治体に委譲するにあたり危惧されることについての主要な論点ということでした。

投稿者 sukarabe : 2005年11月02日 16:53

コメントしてください

comment spam対策のため,名前とメールの入力が必須になっていますが,メールアドレスは公開されません。Web SiteのURLは任意です。Type Key IDをお持ちの方はType Keyをサイン・インしてくださってもいいです。




保存しますか?