史記・淮陰侯列伝
淮陰侯(わいいんこう)とは誰のことかと思ったら、「股くぐり」で有名な韓信のことだった。淮陰侯列伝は、その韓信の伝記。日本語訳を中心に、ところどころ書き下し文や原文も参照しつつ、ざっと目を通した。項羽・劉邦に次ぐ実力の持ち主でありながら、最後は劉邦(=漢王、漢の高祖)に謀反を起こして滅びてしまう。韓信にも責任はあるのだろうが、天下を平定した後の劉邦の猜疑心が主たる要因のようでもある。韓信に限らず、劉邦の有力な部下達の多くは反乱の疑いを掛けられて滅んでいくのであるから。
韓信は最初項羽に仕えたが、認められず、劉邦の下に来る。ここでもなかなか認められないのだが、彼の力を見抜いた蕭何(しょうか)に推挙され、漢の将軍となり本来の実力を発揮する。いくさ上手の逸話の一つに「背水の陣」がある。この言葉、今でも良く使われるが、淮陰侯列伝が起源らしいのである。寄せ集めの軍隊をまかされた韓信は、川を背後にするという通常では不利とされる陣形をとり、兵に逃げる余地を与えず、死に物狂いに戦うしかないという状況を作る。結果として勝利を収めるのであるが、これから背水の陣という言葉が生まれた由。
伝記の最後に著者の司馬遷自身による言葉があるのだが、なかなか手厳しい。曰く、韓信が道理を学び、おごらず、自分の手柄を自慢しなければ、子々孫々まで大切にされたであろう。天下が治まったのちに謀反を企てたのでは一族もろとも滅ぼされても当然ではないか、と。まあ、史記は漢王室のオフィシャルですからね、一応。