2005年03月16日(水曜日)

泣いて馬謖を斬る [ 古典・歴史 ]

泣いて馬謖を斬る」という言葉は知っていたし,意味もなんとなくわかっていたとは思うが,馬謖(ばしょく)が諸葛孔明の部下であったとは,恥ずかしながら今日まで知らなかった。今,NHKをつけているのだが,三国志英雄伝とかをやっているのだった。馬謖は孔明が信頼する部下であったが,命令違反をしてそれがために敗北を喫してしまったのだそうだ。軍の規律と信賞必罰の原則を貫くために,泣く泣く馬謖を死罪に処したということだった。うーん,我ながら学がないというか,物を知らないなあ(苦笑)。

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2005年01月29日(土曜日)

大勧進・重源(ちょうげん)上人 [ 古典・歴史 ]

先日,東京MXテレビを見ていたら,源平合戦(?)で焼失した東大寺の大仏を再建した人物として,重源(ちょうげん)上人という人が取り上げられていた。MXテレビのことだから,どこかの放送局で作成したものの再放送かもしれないが,初めて知ることばかりでなかなか面白かった。

平家が東大寺を焼失させたことも知らなかったが,後白河法皇のきもいりで大仏再建の責任者となった重源という人のことは今まで聞いたことがなかった。面白いと思ったのは,今で言えばプロジェクトXみたいな内容で,坊さんのイメージを一新した(笑)。大仏を作るための鋳造の知識や,山口から材木を運送するための方策など,単なる宗教学者ではとてもできないことだろう。当時の僧侶というのは最先端の技術などにも精通していたのだろうか?また,このプロジェクトを引き受けたのが60歳のときというのだから驚きである。

まあ,細かい事実などは,うろ覚えでここに書いても仕方がない。いくつか参考になるサイトを見つけたので,リンクを張っておこう。

華厳宗大本山・東大寺/東大寺のあゆみ
松岡正剛の千夜千冊「重源」(伊藤ていじ著)
東大寺別院 周防華宮山阿弥陀寺
東大寺盧舎那仏像 -- Wikipedia

もうひとつ知らなかったことは,例の勧進帳というのが,この大仏再建と関係があるということ。勧進というのは,まあ募金活動みたいなものだろうか。全国をまわって募金などを行う人たちのこと(多分,まちがっていたらごめんなさい)で,通行手形に相当するのが勧進帳ということらしいのである。その元締めが重源であり,だから彼は大勧進と呼ばれていたらしい。弁慶が富樫のまえで(実際にはないのであるが)読み上げるのが勧進帳なのだが,それが一体何なのか,この番組を見るまで知らなかった(苦笑)。そうか,そういうことだったのね。

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2004年11月07日(日曜日)

「この世をば」読了 [ 古典・歴史 ]

ずいぶんと時間がかかったが,永井路子さんの「この世をば」(上)(下)をようやく読み終えた。土田直鎮「日本の歴史5・王朝の時代」(中央公論社)と平行して読んでいたため,一時どっちがどっちだか分からなくなってしまったこともあるが(苦笑)。

投稿者 sukarabe : 21:54 | この記事の固定URI | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年10月19日(火曜日)

出藍の誉れ [ 古典・歴史 ]

ちょっと面白かったのでメモ。ちなみに
備忘録2002/06: 2002/6/24 出藍の誉れ
からの引用。

出藍の誉れ

「青(あを)は藍(あゐ)より出でて藍より青し」は『荀子』の言葉だ。考えてみれば,「あゐ」は訓読みである。中国語だったら,青と藍とでは読みようがだいぶ異なるだろう。そう思えば,訓読したこの諺は元の中国語よりもよくできていて,まさに表題の例になっている。

ある意味で,自己参照型の例になっていて面白い。この種の遊びはけっこう多い。有名どころだと,例の Richard StallmanGNU は,たしか GNU is Not Unix の略であった。

投稿者 sukarabe : 16:42 | この記事の固定URI | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年10月05日(火曜日)

この世をば(永井路子著) [ 古典・歴史 ]

一年ほど前,Ka氏に,大鏡を読みたいんですがね,という話をしていたら,この本を紹介された。永井路子さんの「平安朝三部作」の一冊であり,藤原道長について,旧来のイメージとは異なった視点から書いてある。

Ka氏によれば,これを読んで,時代背景や登場人物に馴染んでおいてから大鏡を読むと良いのでは,とのことだった。たしかに,古文という語学のむずかしさと,平安時代という時代背景と,両方勉強するのは大変ではある。

新潮文庫版で上下二巻を買ってきて,すこし前に上巻を読んで下巻に移ってから,しばらくほったらかしになっていた。昨日から鞄に入れて,行き帰りの電車の中で読んでいる。下巻は,道長が右大臣になるあたりからで,伊周(これちか)との権力闘争などがこれから始まるところだ。

投稿者 sukarabe : 16:21 | この記事の固定URI | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年10月03日(日曜日)

大鏡 [ 古典・歴史 ]

高校一年の古文の授業で,最初に習ったのが,「大鏡」だった。古文・漢文に関してはまったくの劣等生だった。いまでも覚えているのは,未然形につく助動詞とかいうのだけだ。なにせ,毎時間,最初に暗唱させられていたのだった。曰く,「ずむじるらるすさすしむまほしましりみぜん」。どこで区切るのかも分からない(笑)。あ,連用形バージョンもあったっけ。「きけりつぬたりけむたしれんよう」。

いや,こんなことを書くつもりではなかったのだ。古文は大嫌いだったのだが,「大鏡」だけは,なぜかずっと気になっていた。おそらくは歴史に興味があったからだと思う。小学生の頃は,子供向けに編集してはあるやつだが,太閤記,太平記など,よく読んでいた。「椿説弓張り月」という源(八郎)為朝が主人公の話も大好きだった。

少し前に,「大鏡」を読みたくなった。実家には岩波の日本「古典文学体系」の分冊 (松村博司著。今は岩波文庫に収録されているようだ) があるが,これではとても通読できない。新潮社から新潮日本古典集成というものが出ていて,よさそうだったので,購入した。これは,なかなか良く出来ている。頭注があるのは,岩波と同じだが,本文脇に朱色で小さく現代語訳が添えてあるのだ。全訳ではなく,難しいフレーズや語句に付いているので,非常に便利だ。これなら,なんとか読んでいけそうな気がする。

まあ,そんな感じで,少しずつでも「大鏡」を読んでいきたいな,と思う。

投稿者 sukarabe : 22:06 | この記事の固定URI | コメント (0) | トラックバック (0)