3月 16, 2011

2011年3月11日の地震やその他のこと

東日本大地震のときは釧路に居た。前日の10日(木曜日)から2泊3日で釧路に行くことになっていた。釧路に着くと、親戚宅に行き、昼はいつも通り、ラーメン夏堀で塩ワンタン麺をいただく。夜は、定食屋さんみたいな天ぷら屋さんで大勢で食事。北の勝の、しぼりたて、というのがあって、これがとっても美味しくて、3合も飲んでしまった。

翌日の11日(金曜日)は厚岸まで足をのばし、桜亭というお店で牡蠣のコースをいただいた。親戚宅に戻って、お腹一杯でソファーで寝そべっていたときに、地震は起こった。釧路での震度は3くらいだったのだが、とにかく長時間にわたって揺れるので、これは尋常ではないなと直感するのであった。テレビをつけてみると、とんでもない地震で、しかも津波が、これまたとんでもないことを知り、呆然とするのであった。

あとはテレビに釘付け。東京も震度5強と知ると、部屋がどうなっているのか不安になる。本棚大丈夫かなあ。CDラック崩落したらMacBook Pro直撃だなあ。カミさんのVaio Xを棚の上に置いてきたけど、棚ごと落ちてる可能性もあるなあ。わあぁ〜、どうしよう〜。

そうこうしているうち、釧路にも津波がやってきて、人事ではなくなってくる。全日空ホテルに宿泊していたのだが、釧路川が氾濫して、Mooの裏手にあるホテルも浸水の危機に。結局、2泊目はプリンスホテルに避難することになった。

で、東京に帰る12日の土曜日。いつもは親戚がホテルに迎えに来てくれるのだが、津波の影響で、幣舞橋を初めとして3つの橋が通行止め。通行出来るのは貝塚大橋のみ、ということになり、車は全部そっちに集中。武佐から貝塚まで1時間くらいかかるという、とんでもない大渋滞になってしまっているのであった。

ということで、タクシーで武佐の親戚宅まで行く。逆はまずまず通れるんだよねえ。さて、問題はどうやって空港まで行くかということ。いつものコースでは、渋滞のため、どれだけ時間かかるか分からないため、昆布森から大回りして遠矢に出て、湿原道路にて釧路空港まで行くことになった。すごい大回りなのだが、時間は存外かからなかった。途中、喫茶店みたいなレストランでランチ食べたのだが、メニューにすごい価格のステーキとかあって、びっくりした。

釧路から東京までの飛行機は定刻通り。上空から被災地のどこだろうか、3ヶ所くらいから煙が上っているのが見えた。テレビで知ってるとは言え、肉眼に見るのはかなりショック。

さて、一番心配していた部屋の状態。恐る恐るドアを開けて部屋に入る。あれ?何ともないの? 懸念していたCDラックも、ただ積み重ねていただけなのに、ちょっとズレただけで、無事だった。オルガンの上の楽譜やCDもそのまま。ワタシの部屋はかなり散乱しているのだが、何を隠そう、これはずっと前からこうなのだった(恥)。

以上、個人的な記録終わり。自分は何も出来ないけど、せめて募金しようかと思う。赤十字とか iTunes Store経由とか、簡単に出来そうだから。