大分での不正ならびに汚職が問題になっているが、いろんな事実が明らかになってくるにつれて、これは全国何処でも長年に渡って行われていたに違いないと思ってしまう。私事になってしまうが、ワタシの母が教員になるとき、1年待たされたのだという。母によれば、誰かのコネがらみで横槍が入り、本来採用されるはずの母の代わりに、どこかの誰かが採用され、自分は一年遅れる羽目になったという。そこまで事情を知っているのも不思議な気がするが、想像するに、さすがに一度採用したのに一年待たせるには、理由を説明する必要があったのであろう。というか、そんな事が堂々とまかり通っていたことにもびっくりするが。

そんなわけで、まあ、どこでもやっているのだろうとか、昨日今日じゃないよな、などと思ってしまうのであるが、では、公正・公平な試験で決めればそれで良いのだろうかと、ふと思う。

今回の事件とは関係ないのではあるが、根源的な疑問が別にある。教員採用試験で高得点を取れる人間が良い教師になれるのだろうか。これまた私事になるが、小中学校で感銘を受けた(というと、いささか大げさだが)先生は、(もちろん優秀でもあったのだろうが) 一人の人間としてステキだったと思う。自分の学問というと、これまた大げさであるが、そういうものを持っていた人達だった。小学校6年のときのK先生は教科書ではなく、出版されて間もない中央公論社の「日本の歴史」シリーズを教室で読んで聞かせてくれた。たしか、卑弥呼がらみで大和国が何処にあるだろうか、とか、そんな話だったかな。中学で歴史を教わったH先生は、郷土史家として活躍されていた。参考書で暗記にいそしんでいたワタシを見て、彼は、フン、そんな馬鹿馬鹿しいことをして、と軽蔑するかのような態度をとったのだが 😯 、たしかにそうであるなと思い、密かに恥じたものだ(苦笑)。案の定、彼の試験は、単なる記憶を問うものではなく、これこれに関して論じよ、という感じの、中学校の試験としては格調の高いものであった。いや、全問そういうわけではないが。

出来ることならば、こういう先生に習いたいものである。そういう先生を採用できるような採用試験であるべきだと思うのであ〜る。

投稿者 sukarabe

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