心理的障壁

数学は論理的な学問だから、順序立ててやって行けば理解できないことはないはずであった。まあ、行間が埋められるかという技術的側面は別として。しかし、現実的には心理的要因がかなりあると思う。ワタシの場合、それが強すぎるかもしれない。自分の好みが狭すぎるのかあ、我は偏狭なりかも、と思うこともある。

2次形式・2次体の「種の理論」、そういう反省に立てば、とりあえず書いてある通りにやってみるかという気持ちになれたような気がする。さすがに有理同値からスタートする展開(シャファレビッチ・ボレビッチはこれだ)にはついて行けないのだが(うん?やはり偏狭か?)、指標系が一致することと平方類で類別することの同値性はそんなに難しくないようだから、Zagierと藤原松三郎(下巻)でもぼちぼちと読んでみよう。

“心理的障壁” への2件の返信

  1.  sukarabeさん、お久しぶり。EROICAです。

    >数学は論理的な学問だから、順序立ててやって行けば理解できないことはないはずであった。まあ、行間が埋められるかという技術的側面は別として。

     そうなんですよね。普通には。
     でも、私は、数学は全然論理的でない、と思っています。少なくとも数学者の頭の中で、新しいアイディアが浮かぶとき、それは、論理的に導かれているとは到底思えません。

     ご存じかも知れませんが、かの小平邦彦は、
    「自分は、年とってから、数学基礎論というものを理解したいと思って、ノートまで作って、しっかりやっていったが、不完全性定理までは分かったが、フォーシングは、どうしても分からなかった。やっぱり若いときでないと駄目なのかも知れない。」
    と、述懐しています。
     もちろん、あの小平邦彦が、フォーシングを論理的に理解できなかったとは思えません。でも、自分の数学として納得できなかったのでしょう。
     自分の数学を持つ。
     良いことだと思います。
     これからも、時々、また数学のこと書いてくださいね。
     それでは。 😆

  2. >EROICA さん、こんにちは。

    納得できるかどうかなんですよねえ。ずっと納得できなくてほったらかしにしておいたものが、ある時にすーっと理解できた、なんてこともあります。気の持ちようということもありますね。数学、このところ停滞していて書くことあまりないのですが(笑)、つまらないものでも何かしら書くことが大切かもですね。ありがとうございました。

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