1月 2009

2次形式メモ(4)

Primes of the Form X2 + Ny2: Fermat, Class Field Theory, and Complex Multiplication (Pure and Applied Mathematics (Wiley))


David Coxの Primes of the form $x^2+Ny^2$ を、挫折したあたりから再び読んでみた。今度は理解できた気がする。以前躓いた理由は、ひとつには記述が抽象的で、それについて行けなかったこと。内容を理解してから読めば、抽象的な記述がかえって分かりやすいことに気付く。最初から抽象的な記述で理解するには、読む側にかなりの習熟度を要請するのだろうなあ。

Coxの本に執着している理由の一つは、「種」(Genus) の定義が気に入っていること。指標系ではなく、2次形式が modulo $p$ でとる値に従って「種」を定義しようというのは、この本の目的($x^2+Ny^2$でどのような素数が表されるのか?)からすると、適切なように思える。58ページに次のような記述がある。

We should mention that Gauss’ use of the word “character” is where the modern term “group character” comes from. Also, it is interesting to note that Gauss never mentions the connection between his characters and Lagrange’s implicit genus theory. While Gauss’ characters make it easy to decide when two forms belongs to the same genus, they are not very intuitive. Unfortunately, most of Gauss’ successors followed his presentation of genus theory, so that readers were presented with long lists of characters and no motivation whatsoever. The simple idea of grouping forms according to the congruence classes they represent was usually not mentioned. This happens in Dirichlet [28, pp. 313-316] and in Mathews [78, pp. 132-136], although Smith [95, pp. 202-207] does discuss congruence classes.

(適当訳。現今の「群指標」という用語は、ガウスが用いた「指標」という言葉に由来していることを指摘しておく必要があるだろう。興味深いことだが、ガウスは彼の指標系とラグランジュが暗黙裡に行った種の理論(ラグランジュは2次形式の値の合同類に着目したのだが、これが種の理論の発祥であるとCoxは言いたいのであろう)との関連性を一言も述べていない。ガウスの指標系によれば、二つの形式がいつ同じ種に属するかは容易に決定されるが、半面それはあまり直感的とは言えない。不幸にしてガウスの後継者たちの多くはガウス自身による「種の理論」の表現形式に従ったため、読者は目的意識もないままに、指標系の長いリストを見せられることになる。2次形式たちを、それらの値の合同類に従って分類するという単純な発想は通常触れられることがない。ディリクレの本、マシューズの本はそうである。しかしながら、スミスのレポートでは合同類に関する議論がある。

Coxの言わんとするところは共感できるが、先日のメモでも書いたように、実のところは少々異なっている。ガウス「整数論」には、合同類での分類という目的意識がちゃんと書いてあるのである。上澄みだけを抽出して教科書を書くと、そういう部分がそぎ落とされてしまうのであろう。Read the masters という標語 (Harold M. Edwards でしたっけ?) はやはり大事だなあと思うのである。

2次形式メモ(3)


2次形式の数論、少しだけ前進。判別式が同じ2次形式を正式同値によって類別して「類」(Class)を作り、さらにいくつかの類をまとめて「種」(Genus)を考える話。判別式を割り切る素因数をモジュラスとしての値を考えるのだが、素数2が例外的に難しい。どうしてそういう場合分けをするのか、なかなか納得できずにいろんな本を読む。最初からガウスを読めば良かったかどうかは微妙だが、ガウスを読んで納得できた。

ガウスについては、完全主義で足場を残さない為に、読者は苦労するようなことがよく言われる。しかし、この件についてはまったく違う。創始者ならではのモーティベーションが書かれていて、今風の教科書で疑問に思っていたことがバッチリ書いてあるのだ。

ガウスは中央の係数が偶数の形式$F=ax^2+2bxy+cy^2$を扱っていて、判別式の4分の1 $D=b^2-ac$ を determinant と呼んでいる。従ってつねに4倍の違いが生じるが、それはこの場合は大したことではない。以下、第229条から引用。

さらに、もし当面の目的のために必要であるとするなら、$F$によって表現可能な数は、$D$を割り切らない素数に対してはこのような一定の関係はもちえないこと、それどころかむしろ、$D$を割り切らない任意の素数については、その剰余も非剰余もどちらも形式$F$で表現されることを証明するのは容易である。
だがこれとは反対に、数4と8に関しては、他の場合にも [ すなわち4と8が$D$を割り切らない場合にも ] ある種の類似が成立する。これは看過するわけにはいかない。 (ガウス「整数論」第229条から)

このあと、$D$が2で何回割れるかで場合分けしていき、$F$で表される数が modulo $2^m$ でどうなるか調べていく。これは読むよりも自分であれこれ実験してみる方が楽しいし、どこがポイントなのかがよく分かる。modulo 8 で分類することになるのだが、modulo 8 での既約剰余類の成す群が出てくる。分類はこの群の商群に対応する形をとる。抽象的な代数の初歩を学んだ者にとっては、具体的事例で群論の初歩との関係が分かり楽しい。別の教科書だが、Daniel Flathの本に書いてあった「準同型(homomorphism)のような関係になっている」という意味も、良く理解できる。というか、やっと Flath の本の定義が理解できましたよ。

ということで、やっと一つ山を越えた感じ。

楽して幸せにはなれず・・・か

好きとはいえ、数学の勉強は辛い 🙁 。いくら考えても理解できないときなど、最悪である。いくら頑張っても弾けないパッセージみたいな感じ。オルガンもそうだが、やはり若いときにトレーニングしとかないとダメっすねえ。

ということで、少し分かって一歩前進したものの、またもや壁にぶつかる。多分それほどハードではないと思うが、頭が悪くなっているので(もともとそれほどは良くないが 😉 )時間が掛かる。あー、いらいらするなあ。

でも、山頂というか、とりあえずの目標が少し見えて来ていると思うので、もうひと頑張りしますかね。

2次形式メモ(2)


ガウスの「種の理論」(Genus Theory) への動機付け。

判別式$D=b^2-4ac=-15$の2次形式
\[ (a,b,c)=ax^2+bxy+cy^2 \]
により素数$p$が表されるか否か、という問題を考える。

この場合、簡約形式 (reduced form) は
\[ (1,1,4)=x^2+xy+4y^2, \quad (2,1,2)=2x^2+xy+2y^2 \]
の2つ。判別式 $-15$ のどの形式もこの2つのいずれか一方と正式同値になる。
(つまり、$SL(2,\mathbb{Z})$ で互いに移り合う。)
この2つは同値じゃないので、狭義の「類数」(Class Number)は2となる。

2次形式の一般論および平方剰余の理論などから、次のことまでは分かる。すなわち、2, 3, 5以外の素数$p$がこの2つのいずれかで表されるための必要十分条件は、2次合同式
\[ x^2 \equiv -15 \quad ({\rm mod } 4p ) \]
が解をもつこと、つまり、
\[ p \equiv 1, 2, 4, 8 \quad ({\rm mod } 15 ) \]
である。
しかし、これでは、$(1,1,4)$と$(2,1,2)$のどちらで表されるのか、あるいは両方で表しうるのか、が分からない。その為には何らかの方法で、2つの形式を「分離」することが必要となる。

そこで、別の切り口から問題を考えてみる。2次形式が表す整数を、いろんな数を法(modulo)として考えるのである。具体的には判別式を割り切る素数を考える。(それ以外の奇素数をモジュロとしても、情報は得られないことが示される。Cahenの393ページあたり。)

modulo 3 で考えてみよう。3の倍数になるものは考えないことにして、これ以外が余り1、2のいずれになるのかを調べてみると、
\[ x^2+xy+4y^2 \equiv -2(x-y)^2 \equiv 1 \quad ({\rm mod } 3) \]
および
\[ 2x^2+xy+2y^2 \equiv 2(x+y)^2 \equiv 2 \quad ({\rm mod } 3) \]
となる。

modulo 5 でも同様の結果になる。5の倍数になるものを考えないことにすれば、
\[ x^2+xy+4y^2 \equiv -(2x-y)^2 \equiv 1, 4 \quad ({\rm mod } 5) \]
\[ 2x^2+xy+2y^2 \equiv 2(x-y)^2 \equiv 2, 3 \quad ({\rm mod } 5) \]
である。

この問題の場合は modulo 3, modulo 5 の片方だけからも分離することができて、
$p\neq 2, 3, 5$ なる素数$p$に対して、
\[ p=x^2+xy+4y^2 \quad \Longleftrightarrow\quad p \equiv 1, 4 \quad ({\rm mod } 15) \]
および、
\[ p=2x^2+xy+2y^2 \quad \Longleftrightarrow\quad p \equiv 2, 8 \quad ({\rm mod } 15) \]
という結論が得られる。

以上を一般化するには、平方剰余の指標(character)と関連づける。modulo 3 で特定の余りになることは、指標 $\left(\frac{n}{3}\right)$ (ルジャンドルの記号、ヤコビの記号) が一定の値になることに対応している。判別式を割り切る奇素数$p_i$に関する指標 $\left(\frac{n}{p_i}\right)$ の値を考え、これらがすべて一致する2次形式の類(class)をまとめて、種(genus)と名付けるのである。
(これ以外に2のベキ乗での分類、つまり、素数2に関する指標もあるが、また別の機会に。)

Cahenの数論教科書

Cahen : Theorie des nombres tome 2

19世紀末〜20世紀初頭の数論教科書をいろいろ探して眺めているのだが、Cahen の Theorie des nombres 第2巻、が好みに合うようだ。フランス語なので今まで敬遠してきたのだが、読まねばなるまい。

第2巻の大部分は2次形式について。種の理論は、具体例で動機を説明したあと一般論に移る。例も豊富で嬉しい。2次形式も一般形、つまり中央の係数が偶数とは限らない形、で書いてあり、これも嬉しい。

あとは錆びついたフランス語の知識で、ぼちぼち読んでいきますかね。錆びついたと言っても、少しは習っていたおかげか、おおまかには読める。一般書はまったく読めないが、やっぱり数学書のフランス語は易しい。

とっさの一言

今朝の地下鉄にて。車内はギュウギュウ詰め。とある駅で、降りそこねそうになっている人有り。我はドア近く。既に数人がホームから車内へ乗り込み、後続部隊多数。むむむ、このままでは・・・。咄嗟に口をついて出た言葉は・・・

「降りるそうですよ」 🙄

いやあ、我ながらマヌケな一言(恥)。というか、まるで他人事のような、そっけない言い方じゃあないですか(苦笑)。ワタシって冷たい人だったんですねえ 😉 。まあ、乗り込もうとしている人もバックし、ワタシたちドア近くの乗客も一度外に出て道を開け、降りるべき人は降りた。目的は果たしたのである。が、しかし・・・。

電車に戻ってからも、内心穏やかならず。忸怩たる思い。何故にもう少し気の利いた、いや、気は利かなくてもいいから、もう少しマシな言い方ができなかったろうか。単に「降ります」とでも言えば良かったのに・・・ 😥 。

仕事始め

え〜、本日が今年の仕事始め。職場で今日からなんですよ、エヘヘ、というと白い眼で・・・(苦笑)。ああ、みんな同じじゃなかったのね、てへへ 😉

帰りに大塚に寄って、やきとり専門・掌(たなごころ)に行く。開店時間より早く着いてしまったため、その辺をぶらり散歩。天祖神社にも初めて入った。いつも真っ暗になってからしか行かないので気付かなかったが、天祖神社の裏門というか脇にある門の目の前が掌だった。

こんなことでもなければ大塚駅周辺をぶらぶらすることもないなあと思いつつ歩くのだが、あちこちに入りたくなる店があって困る :mrgreen:

掌は相変わらずの美味しさで満足。ああ、ハツを頼むの忘れた。かみさんが一緒ならこれをはずすことは有り得ないのだが。次回は二人で行きましょうね 😉 。

ピンク・フロイド

昨夜のNHK BS1「みんなロックで大人になった」第2回は ピンクフロイド特集みたいな感じだった。タイトルこそ「アートロック」であるが。シド・バレットや、彼に影響されたというデヴィット・ボウイなどが登場。ああ、シド・バレットは当時の映像のみです 😉 。

高校の同級生に Pink Floyd 大好きな友人がいたこともあり、Emerson, Lake Palmer と並んで、珍しくリアルタイムで新作アルバムを聴いていたのだが、ワタシにとっては、Wish You Were Here というアルバムあたりで、なんとなくもういいかという気持ちになったものである。コマーシャル的に大成功をおさめた The Dark Side Of The Moon は別にして、個人的には Meddle あたりが好きなアルバムだった。エコーズのようなB面まるごとの長編もあれば、サントロペ といった軽い短篇もあり、フロイドでは一番良く聴いたアルバムかも。

Wish You Were Here 以降は何というか、音楽というよりは社会現象のようになってしまった。ロジャー・ウォーターズもミュージシャンというより何かの活動家みたいで、ノンポリのワタシは違和感を感じることが多かった。The Wall だって音楽よりは、舞台演出がいかにすごいかが語られることが多かったのではないだろうか。

昨晩の番組でへえ〜と思ったのは、エコーズの話。いろんな実験やらしていたらしいのだが、ピアノをレスリーに通した音が面白くて、それがエコーズのあの音になったという。あのふわふわしたのはレスリーだったのかあ。聴いてみようかなあと思ったが、よく考えてみると、CDで買い直したのは一枚もなかった 😉 。持っているのは全部LPだよ。それも実家だ。ちょっとだけ聴いてみたいんだけどねえ。

NHK BS1「みんなロックで大人になった」

昨日からNHK BS1で「みんなロックで大人になった」というシリーズ物を放送している。製作は英国のBBC放送局。全7回の予定。

第1回は「ロックの誕生」という題目。米国の黒人音楽であるブルース(リズム・アンド・ブルース、R&B)に共感した英国の若者たちが、それを輸入・翻案しつつ、自分たちの独自性を組み込むことで、ロックと呼ばれることになる音楽が誕生していく様子が描かれている。なるほど〜。標語的に言えば、ロックンロール+ブルース=ロック、といったところだろうか。

変革は1965年頃に起こったという。The Who や The Rolling Stones がその中心。今回はその他に Yardbirds, Cream などが紹介されていた。ワタシが子供の頃は、ローリング・ストーンズはいかにも不良って感じで(笑)、親の世代には頗る評判が悪かったような気がする。Creamは大好きなグループの一つで、今でもLive Cream というアルバムをたまに聴く。ジンジャー・ベイカー(dr)がインタビューに答えていたが、歳をとっても相変わらず怖そうなおっさんだ(笑)。

今日の第2回は「アート・ロック」ということで、Pink Floydなどが出る予定らしい。シド・バレットとか出てくるんだろうか。

ところで、全7回の予告を読んでみたのだが、あれ〜、ワタシが大好きな Emerson, Lake and Palmer や King Crimson といった所謂プログレッシブ・ロックが見当たらない。ううむ、なんたることぞ。

40年前のエレクトーン E-3 の音源

はもはもブログ: エレクトーン50周年記念サイト を見て、リンク先のヤマハのサイトに行ってみましたが、昔のエレクトーン、懐かしいです。そう言えば家にも音源が幾つかありました。個人的には E-3 が一番好きだったので、今回は E-3 の音源です。

1968年に登場したエレクトーン E-3 は、おそらく初めてのコンサート用シアターモデル。

ヤマハ・エレクトーン(Yamaha Electone) E-3

このE-3型エレクトーンの音源をアップしてみます。子供の頃、発表会の記念か何かでもらったものです。

Holiday In Electone (by E-3)
Holiday In Electone (by E-3) 解説面
Holiday In Electone Side A
Holiday In Electone Side B

演奏は、おそらくは当時の代表的プレイヤー。斎藤英美さんあたりが第一人者とかいう時代だと思います。沖浩一さん、関藤繁生(セキトオシゲオ)さんの二人が新鋭といった感じでしょうか。酒井潮さんもまだ若手なのでしょう。本職はハモンドオルガンのジャズオルガニスト酒井潮さんのエレクトーン演奏というのも珍しいかも。

斎藤英美 G線上のアリア

関藤繁生 サマータイム

酒井潮 イエスタデイ

沖浩一 イパネマの娘